評論家の教師は要らない

「テストのための勉強は本当の勉強ではない」

と唱える学校の教師は多い。

純粋な勉強という観点では、私も同意する。

しかし、現実問題、生徒たちはテストをクリアしなければ、次の人生のステージに進めない。

そこを曖昧にして、自分の教育理想論だけを生徒に押し付けることは間違っている。それは教師ではなく評論家だ。

一般の会社やスポーツの世界でもそうだが、実際の仕事現場や競技そのものの場所に評論家はいない。評論家というのは一歩、距離を置いたところから、ああだ、こうだとコメントをする連中のことだ。だから、評論家は現場の結果がどうであれ、自分の発言に責任を問われることはない。いわゆる無責任な立場にある。

もちろん、我々の精神が向上して、テストというものがなくても、人間を公平に評価できる時代がくるかもしれない(我々が生きている間にはないな)。

でも、教師という職業の肩書きのある安泰な立場の人間が、理想論だけを生徒に押し付ける評論家気取りは、無責任というより犯罪行為ではないだろうか?

生徒の目の前に迫っている重要なことは何なのか?よく考えてほしい。