英語を読める力こそ、日本人の強みだった

一つ前の記事に、アクティブラーニングや英語のリスニングやスピーキングの導入に疑問を投げかけた。

昔から日本の文法中心の英語教育では英語を話すようにならないと否定的な意見が多かった。

しかし、それは言い換えれば、日本人の英文を読む力が高いということ。明治時代の日本の先人たちは、どんどん海外の文献(英語だけでなくドイツ語、フランス語)を読み込んで、欧米の知識を吸収していった。

その重要性は現代でも変わらないと思う。日本にはない海外の情報を手に入れるためには、海外のサイトから情報を得ることができる。翻訳機能も発達してるから、受験で得た英語知識プラスαで、かなり高度な内容まで調べることも可能だ。

しかし、翻訳機能があるからと言って、全部を翻訳することは現在ではまた至難の業で、ある程度の英語知識は必要になる。

また、ヒロマルの大学の同級生で在学中、留学した友人がこう言っていたらしい。

「アメリカの大学に来て、最初は聞く話すができず苦労した。でもペーパーテストの成績は留学当初から良かった。それは読み書きはできたから、そこは入りやすかった。周りの日本人留学生も同じような感じだった。」

むしろ、日本が長年培っていた、英語を読む力という優位性を更に高める方が、世界における日本の強みになるのではないだろうか。